忍者ブログ
 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

24話。

ずっと読んで下さった方に感謝します。

つまりりんごは愛による死を選択した者へのご褒美なんだよ
死んだら全部終わりじゃん
終わりじゃないよ、むしろそこから始まるって賢治は言いたいんだ

この言葉通りの最終回だったなと。
細かい部分は全くと言っていいほど、まだ理解できていないんですが
ただ、この物語は家族愛、異性愛、ふたつの愛
冠葉と晶馬のそのふたつの愛の物語だったんじゃないかと思います。


10年前の箱の中
「どちらかが生き残ったら、言葉を伝えてほしい」
このときに、冠葉が伝えてほしかった言葉は「愛してる」相手は真砂子。
このときは、晶馬には伝えたい言葉も、伝えたい相手もいなかった。
でも10年が過ぎるうちに、伝えたい大切な妹が出来た。
「大好きだよ、お兄ちゃんより」伝えた相手は陽毬。
これが、家族愛のほう


運命の乗り換えの列車の中で
生存戦略空間で冠葉が血を噴き出す。
これは「たすけられない」という絶望なのか、今まで冒してきた罪に耐えかねたのか
はっきりわからないですが、生きることに対する絶望、諦めの描写と解釈しました。
それを抱きしめ、帰ってきてという陽毬。絶望から戻ってきてってことかなと。
そのまわりで林檎が実る。
ここでの林檎は愛の比喩だと思うので、少なくともこの瞬間に冠葉の恋が実った。
陽毬が、記憶を失う前に最後に愛したのは晶馬ではなく、冠葉だった。
ようやく、冠ちゃんの長くて、辛い恋が報われた。
「晶馬、俺は本当の光をみつけたよ」
これは本当の光=愛されることかなと解釈しています。

どんな形でもいいから、陽毬のそばにいたいと願ってた冠ちゃんだけど
自分の命で陽毬ちゃんを救えたから、満足だったと思う。

冠ちゃん、すごくきれいでしたね。
この子はもともとすごくきれいな子だから、綺麗な描写に映えるなぁと思いました。
立ち姿とか、表情とか、強くてかっこいいのに、はかなげできれいでもあったよね。

苹果が運命の乗り換えの罰により、炎に包まれる。
それを「僕たちの罰だから」と罰を代わりに受ける晶馬。
なぜ、炎が晶馬に移ったのかは解釈がむずかしいところ。
でも直前の「ありがとう」で一瞬消えてるのがヒントなのかな。
もしかしたら、この瞬間に晶馬は苹果を好きだと気付いたのかもしれない。
愛を知る者だけが乗り換えを行えるのだとしたら、晶馬に炎が移った理由になるかな?
勝手すぎる解釈で、なんの根拠もありませんが。
「愛してる」
この言葉は、本当に「愛してる」の意味だと思います。
愛してた、じゃなくて愛してる、だったのが希望につながると思いました。

晶ちゃんが苹果ちゃんへの感情を「愛してる」だと自覚したのはいつなのか。
小説版まちです。18話から向き合い始めてるけど、その前からのような気もする。
私は、他人の悲しみや苦しさを理解することは出来ないと思っています。
でも、理解しようとする心が、ひとを癒すこともあるんだなと思いました。
苹果ちゃんの優しさが、罪の意識で凍りついてしまった晶ちゃんの心を溶かした。
自分の心に、愛情が芽生えることに絶望してた晶ちゃんが人を好きになれた。
晶ちゃんの心も報われたんだなと思いました。

それにしても、最後にやってくれましたね晶ちゃん。
苹果ちゃんが炎に包まれた時、なんのためらいもなく抱きしめに行った
ピングドラムをためらいなく自分の体から抜き出した
やっぱりいざという時は男を見せる晶ちゃんだなと思った。
最期に言った「愛してる」にもためらいがなくて素敵だった。
いざという時は、ためらわないんだよね。かっこよすぎだよ。


眞悧が「ちり一つ残さず消えるんだ、君たちは絶対に幸せになんかなれない」
と言っていますが、この言葉、覆されてますよね。
冠葉は晶馬の言葉を陽毬に残してる「大好きだよ、お兄ちゃんより」
晶馬は冠葉の言葉を真砂子に残してる「夢の中で愛してると、大切な妹だと仰っていたわ」
二人は消える前に、箱の中での約束を、お互いに果たした。

眞悧は気の毒な存在ですね。
ゲームにも負け、唯一同じ世界を見られる人も、もう行ってしまった。
絶望のまま、またひとりで次の列車を待つ。
多くの人たちの苦しむ声は、今も聞こえてるんだろうか。
眞悧は、世界は間違っているから正そうとしていただけで、根は悪い人じゃない。
マフラーをダブルHに届けたのは、どういう気持ちからだったのか。
むしろ正しすぎて極端に走ってしまった感じ。
できたら、眞悧にも何か救いが欲しかった。
でも、世界はそんな甘いものじゃないよってこと、なのかな。
自分を犠牲にしても、だれもかれもは救えない。


さて、解釈が分かれているラストですが。
私なりの解釈を書こうと思います。でもこれが絶対じゃないと思う。

愛による死を選択した者への褒美=りんご=あたらしい命
ラストのショタ冠葉晶馬は、他の人には見えてない、
眞悧、桃果、ペンギンたちと同じような存在になっていて
「どこへ行く?」=「何になる?」という選択をしてたのかなって。
銀河鉄道の夜では、どこにでも行ける切符をもっていたのはジョバンニ(晶馬)
だけだったけど、ピンドラではカンパネルラ(冠葉)も手に入れられたのかなと。
この結論から、ふたりは家族というより、ずっと親友だったのかなと思った。
「兄貴なんてほしくなかった」と晶ちゃんは言ってたしね。

陽毬ちゃんにはもう3ちゃんは見えてなかった。
多分真砂子にもエスメラルダはもう見えないんだと思う。

陽毬ちゃんがラストで「忘れないよ」と言ったのは、愛された記憶なんだと。
二人はいなくなって忘れてしまったけど、
その愛された記憶というか感覚だけは陽毬ちゃんの中に残ってるんだと思う。

人は誰かに愛してると言って貰う為に生きている。
愛された記憶と、愛した記憶があれば、生きていける。
しあわせになることができるんだと思いました。

以上が24話と「輪るピングドラム」という作品についての感想です。
まだ、謎はたくさん残っていて、考えたいこともたくさんあります。
冠葉から輪りはじめたりんごが、最終的にどうやって陽毬へ渡ったのか
そのことについては、別記事で書こうと思っています。


長い長いしあわせな半年間でした。
終わってしまうのが怖くて怖くて、結論が出てしまうことも怖くて
ずっと終わりが来なければいいと12話くらいから思っていました。
でも、個人的にすごく納得できた終わり方で、本当に良かったと思います。
家族と言う形は失われてしまったけど、想いは失われていないし
冠葉も晶馬も報われることができてよかった。
このふたりが幸せになってくれれば、私も報われる。

星の道を歩いて、ふたりはどこへいくんだろう。



拍手[2回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧可
お疲れ様です。
amisakaさんのピングドラム愛がとても伝わってきました。
読んでいて素直に頷くところが多かったです。
24話は向き合うのが大変で、自分はまだ整理できずに解釈も日替わりという始末でして。
最近はこの物語は悲しい話だったんだと思うようになっていました。
でもamisakaさんの感想をよんで、「幸せについての話」だったんだということに気付きました。
この気持ちの持ちようは大事ですね。
「人は誰かに愛してると言って貰う為に生きている。愛された記憶と、愛した記憶があれば、生きていける。しあわせになることができる。」
まさにこういう話だと思います。
勇気101% 2011/12/27(Tue)00:12:26 編集
Re:お疲れ様です。
わー!勇気さんコメントありがとうございます!
愛だけしかないようなブログで、おはずかしいです///
解釈は人それぞれというか、これが正解というのはない気がします。
私も最初は救いのない終わりだと思ってました。
大上映会に参加して、監督のお父様への気持ちを気かなければ
ずっとかなしい物語だと思っていたかもしれません。
監督の死ぬことに意味はない、でも残されたものには意味がある。
この言葉で解釈を変えました。あと愛の話だとも仰っていたので。
希望のあるお話だったと思えるようになりました。
【2011/12/27 23:39】
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
amisaka
性別:
女性
趣味:
アニメとアイドル
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ [PR]